WBCに学ぶ

日本が世界一

 野球など特に興味がないのだが、サッカー好きというステータスをスポーツ通と勘違いして「WBC」どうだろうねとよく聞かれる。知らないよ。知ってる選手なんてイチローがせいぜいだし、ダルビッシュの名前は今日まで「有(あり)」だと思ってたぐらいだ。昔のまだひねくれていた頃なら完全にそっぽを向くのだが、私でも少しぐらいなら成長している。今日が何戦で、トーナメントがどういう状況なのかは把握するようになった。決勝があった今日はファミレスで友人たちと他愛もない談義をしながら、経過が気になると言い出したサッカー部の友人と共に携帯電話の電池をワンセグで消費していた。

 韓国と行われた決勝の結果は9回裏に追いつかれて延長の末に5-3で勝利。結果を知った友人はお手本通りのガッツポーズを決め、場所をカラオケルームに移していた4人組は地元である千葉ロッテマリーンズの曲でその場をしめた。千葉県民歴4年の私もその曲は街頭で度々流れているのでサビぐらいは知っている。

韓国が教えてくれた勝負の意義

 「たまに」、韓国が羨ましくなる。真偽は別として歴史的背景を餌に日本国をヒールにでっちあげ(たのかどうかは定かではないが)、国民全体で食ってかかる。韓国でその様子を見てきたわけではないが、その尋常でない必死な様子は携帯の小さな画面を通しても伝わってきた。それは日本のメディアが無理に煽って得たそれとは決して違う何かだ。それをナショナリズムと言うのか、日本人の私にはいまいち理解できない。

 マスメディアの言う宿敵の韓国を打ち負かすだけならば野球である必要はなかったはずだ。バレーでもサッカーでもバスケでもよかった。しかしなんだろう、サッカーの日本代表が韓国代表に勝ったときよりもうま味が強い気がする。私はその理由を野球が日本の国技であるからに他ならないからと考える。

 野球オヤジはプロ野球とJリーグじゃ歴史の重みが違うとよく言う気がする。その通りだ。昭和の日本を支え、世界でも大リーグの次点と言ってもいいぐらいにハイレベルという自負がある日本のプロ野球の歴史はたかだか十数年のJリーグの歴史など相手ではない。間違いなく日本のスポーツ界を支えている存在だ。野球が日本の国技と言って異議はないだろう。

 その国技で日本様にたかだか隣人の韓国が血色を変えて食ってかかってきた。そして最初の対戦で負けたことで気がつかなかったプライドに傷が付いた。・・・以下略。

 サッカーの日本代表に足らないのはこれだ。勝って当然で負けるはずがないという気持ちと緊張感。今回のW杯最終予選、ウズベキスタン戦、オーストラリア戦の屈辱的な引き分けがその結果である。そしてそのモチベーションの根源になるものはJリーグであり、サッカーを国技にすることだと改めて気がついた。Jリーグ百年構想とはよく考えたものだ。まだまだ長い年月が必要になりそうである。

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